2014年10月30日木曜日

秋の京都へ/2日目







2日目 嵐山











嵯峨野の竹林
















竹細工の店に立ち寄る。











龍安寺













鏡容池












私と息子にとっては2回目の龍安寺。再びあの石庭へ。










座禅を組んだ目線から 15 の石 全ては見渡せない。「人は完全ではない」という教えです。










「吾唯足知/われ・ただ・たるを・しる」の文字が刻まれた銭形のつくばい。

「足りている事を知る。つまり、欲張ることなく、今の自分を大切に」という意味なんだって。

禅寺の教えは、自然と心に響くものだ。










鹿苑寺唐門










イチイガシの巨木











金閣










今回の旅人3人衆。










「陸船(りくしゅう)の松」(下)。足利義満が手植えしたと伝えられている。

当時は盆栽サイズだったそうだ。










「貴人榻/きじんとう;高貴な人が腰掛けたという石」(下)。










京都は外国人観光客が多いので おみくじもグローヴァル。











次は大徳寺。境内には伽藍を始め、別院2/塔頭20が立ち並び、まるで「お寺の町」のような場所です。












勅使門(上)、その奥の三門(下)。千利休切腹の原因になったという三門。











寺院内の龍源院へ。










方丈前石庭










丸い形の苔島は亀島、奥の高い岩は仙人が住む「蓬莱山」白い砂は大海原を現している。










(上)種子島伝来の鉄砲、日本最古の種子島銃。

(下)方丈襖絵「龍と波の図」。










龍とは皇帝を意味するそうで、中国の皇帝の龍のみが5本の爪を持つ。

日本に伝来した龍の爪は3本とやや格下。

龍の爪の数まで気づかなかった。












(下)東滴壷。日本で最も小さい壷庭。











(下)竜吟庭。杉苔に覆われた緑は大海を、石群は陸地を現す。










瑞峯院(キリシタン大名大友宗麟が菩提寺として創建/1535年)。










独坐庭(上)。蓬莱山から山岳・半島になり、絶え間ない荒波に打ち寄せられながら独坐する、という大自然の営みを現す。










閑眠庭(上)。7つの石は見る位置によって、十字架を模していると言われる。










茶室









昼食は「泉仙大慈院店」にて、精進料理を初体験。












天ぷらや松茸ご飯など、完全菜食にもかかわらず、食べ応え/見応えあり、大満足のお食事でした。











食後は、比叡山のふもとにある曼殊院へ。










曼殊院は、ある時期から、皇族の第二皇子*が出家し、門主となったことで有名な寺院です。










*桂宮智仁親王の御次男「良尚法親王/1622-93」は、幽閉とも言えるような立場におかれたものの、優れた仏教徒であり、また茶道・華道・香道・和歌・書道・造園に通じた教養人であった。

1656年現在の場所に移築されたとき、法親王は寺院の造営に尽力され、今でも彼の見識・創意工夫が院内のあちらこちらに垣間見える。










美しい庭園は、禅と王朝風が結合した日本庭園として名高い。










流れる川を思わせる白石。











秋の夜、この手水鉢に映った月を眺めるのが、楽しみの一つだったそうです。










四季折々の庭を愛でながら、法親王は日々どんな暮らしを送っていたのでしょう。

風の音しか聞こえない、静かなひととき。自分を振り返る良い時間となりました。










今回の旅のゴールは「三十三間堂」だったのですが、写真撮影一切禁止という厳しい決まりがあり、感動は心の中に納めてきました。

本堂に安置された千一体の観音像、そしてそれらを守る28体の仏像。

人間の持つ弱さ、醜さ、そして優しさを教えてくれるその姿は、圧倒的な迫力で心に迫ってきた。

観音像の中には、必ず自分と同じ顔をしたものがある、というから、次回訪ねたときには是非それを探したいと思います。

秋の京都、2人の若者と旅をした。今の自分に感謝して、また明日からがんばろう。