2日目。
今日は近所の「Victor Hugo ( 1802~1885 ) 記念館」の見学から。
彼が30歳の時から16年間暮らした「Place des Vosges」の館です。
*「Victor Hugo」はフランスを代表する詩人、小説家(代表作は1862年の”レ・ミゼラブル”)であり、また政治家でもあった。
作家としては大成功をおさめた彼だが、私生活においては家庭の不和や度重なる家族の死など、不幸に満ちたものだった。
様々な背景から政治家としては人道主義者で、死刑制度の反対や教育制度、社会福祉などの整備を訴えた。
独裁的な政治に走るナポレオンを批判したことから、弾圧を受け、ベルギーに亡命した時期もあったが、ナポレオンの失脚後、英雄として祖国に迎えられ、パリにて83年の一生を終え、偉大なる文豪としてパンテオンに埋葬された。
Hugoの館へと続く階段の窓には美しいステンドグラスの装飾。
天井の高い室内には、赤のサロン、中国風のサロンなど、部屋ごとにテーマが違います。
このアパートに引っ越してから骨董品に興味を持ち、自らの感性だけを頼りに、統一性に欠けたちぐはぐな家具を手に入れるようになったといいます。
この個性的なインテリアにはかなり驚かされますが、彼が「がらくた」と呼んだ様々なものの中に旺盛な好奇心を感じることができるわけです。
部屋からの眺めは当時と変わらないまま。
ちょうど記念館内では子供たちのためのお話会が行われていて、先生のお話に一生懸命耳を傾ける彼らの瞳が印象的でした。
他の美術館を訪れたときにも感じたことですが、親が子供に絵画や美術品のことを熱心に説明したり、一緒に話し合ったりする姿が多く見られました。
フランス流の教育なのかな。
次は地下鉄(ここは地上駅だが)に乗って、エッフェル塔へ。
*エッフェル塔(La tour Eiffel)は、1889年フランス革命100周年を記念する万博のための建造物のコンペティション作品のひとつ。
高さは324mで、1930年にNYにクライスラービルが完成するまでは、世界一高い建造物でした。
この塔をめぐっては賛否両論あり、反対派の文学家モーパッサン(Guy de Maupassant)は、よくエッフェル塔の一階にあるレストランに通ったが、その理由は「パリの中でこの醜いエッフェル塔を見なくて済む唯一の場所だから」だそうです。
当初の契約から1909年に解体されそうになったが、後に軍事用の無線電波を送信することで、国防上重要な建造物として残されました。
1991年にはエッフェル塔を含むパリのセーヌ川周辺が世界遺産に登録されました。
いろいろと言う人もいるみたいだけど、やはり美しい塔だと私は思います。
次はロダン美術館へ。
歩きの途中で、おっ。
パリの街角にも似合うLand Rover Defender。
次に見えて来たのが、キラキラした「アンヴァリッド廃兵院(Hotel des Invalides)」のドーム。
吹き抜けになった107mのドームの下にナポレオンの棺(6重にもなっている棺だとか)が安置されているそうです。
敷地内には軍事博物館も併設されています。
キラキラのここはスルー。
付近に立つ警察官。
ロダン美術館に到着。
ロダン美術館は1919年開館。ロダン(1840~1917)の作品と彼の美術品コレクションが所蔵されています。
この建物は1908年から亡くなるまでの10年間、ロダンが暮らし、アトリエとして使っていた館だそうです。
下は有名な 「地獄の門(La Porte de L'enfer)」。
イタリアの詩人ダンテ(Dante)の叙事詩「神曲/地獄編」をテーマに制作されたブロンズ像。
詩の中の有名な一節;「この門をくぐるものは一切の希望を捨てよ」
上部にある「考える人」はこの門を構成する群像の一つとして造られたものです。
労働者階級として生まれたロダン。
彫刻のモティーフの手足の表現にその力強さを感じます。
美術館からはエッフェル塔や
アンヴァリッド廃兵院なども見えます。
美術館近くの電柱には使い終わったチケットがたくさん張られていて、これ自体アートに見える。
Marais地区に戻り、カフェに座ってのんびりとした時間を過ごしました。
今回の旅ですっかり気に入った「Chez Janou」。
レモネードのかわいいボトル。
今日もよく歩いた。
ところで、パリの街を歩き回って、気がついたことが車の駐車事情。
基本的に小型車が多いのですが、パーキングの腕前は相当なものです。
実際パーキングしているところを見たけど、完全にぶつけながらの駐車でした。
今日のおしまいは、壁に向かってびくともしない「考える鳩」。
つづく。
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